『HEIWAの鐘』

作詞:仲里幸広 作曲:仲里幸広


皆さんには平和の鐘の歌詞の解釈をして頂きいたいです。
私たちは実際に歌詞の意味を考え、ユキヒロさんとお会いしユキヒロさんの思いを聞いてきました。
私たちが『HEIWAの鐘』を取り上げたのは合唱曲として多くの中高生に知られているものだからです。
ふと『HEIWAの鐘』を思い出したときに一緒に「平和」のことを考えてもらいたい。そう考えて始めました。
もしあなたがこのサイトを訪れた目的が歌詞の意味を考えるという課題の答えを探しに来たのなら、
なおさら下にスクロールしていってもらいたいなと考えています。
一緒に平和のこと、考えてみませんか?

1番

よみがえれ あの時代へ

武器を持たぬことを伝えた

先人たちの声を

永遠に語り継ぐのさ

脅かすことでしか 守ることができないと

くり返す戦争(つみ) 忘れゆく
愚かな権力(ちから)よ

 いつか(自由な空が)

 虹かかる(翼ひろげゆく)

 風に(高く大きな) 幸せ贈るだろう

 ぼくらの生まれたこの地球に

奇跡を起こしてみないか 

拳をひろげてつなぎゆく

心はひとつになれるさ

平和の鐘は 君の胸に響くよ



2番

 

唄い踊り助け合った

振り向かず  笑い続けた

誇る島の魂を
永遠に守り抜くのさ

銃声が鳴り響き 海や大地が砕け散る

正義の叫び こだまする 
フェンスを飛び越えて

君が(一人立てば)

変わるのさ(明日へ輝いて)

ずっと(未来の夢を)ここに残してゆこう

ぼくらの生まれたこの地球に

奇跡を起こしてみないか

拳をひろげてつなぎゆく

心はひとつになれるさ

平和の鐘は 君の胸に響くよ


 

琉球

長く続いた新石器・貝塚時代の後、農耕文化へと移り実力者が出現、グスクが築かれる。その後勢力争いに発展。沖縄本島を北山、中山、南山の三つに分ける「三山時代」になる。1429年に尚巴志が三山を統一。尚巴志により琉球王国の誕生した。

琉球~商業~

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琉球~民俗~

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日本のものに

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沖縄戦

太平洋戦争末期の1945年4月から、約3ヶ月に渡り沖縄は日米激戦の地となった。日米両軍と民間人を合わせた死者数は約20万人と推定されている。
軍民混在の激しい地上線が続き、老人・女性・子どもまでもが戦場に送り込まれた。凄まじい空襲や艦砲射撃を受けたことから「鉄の暴風」とも言われている。集団自決の強制や、日本軍による住民虐殺等も起こり、約4名に1人の県人が、この沖縄戦で犠牲になった。

米軍統治

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(沖縄)本土復帰

1972年(昭和47年)、戦後アメリカ合衆国が持っていた沖縄(琉球諸島および大東諸島)の施政権が日本国に返還されたことを言う。このとき日米で交わされた協定の正式名称は「琉球諸島および大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定」。施政権とは〈立法〉〈行政〉〈司法〉の三権を行使する権利のこと。つまり米軍統治時代、沖縄においてこの三権はアメリカ合衆国のものであったのである(※米軍統治下の沖縄については別途参照)。アメリカが軍事優先の政策を沖縄で押し進めた結果、1950年代以降、沖縄のアメリカ統治に対する反発が強まり、世論は日本復帰論に固まりつつあった。しかし、日米交渉の結果、いざ1972年に実際に沖縄の本土復帰が実現されると、その現実は多くの沖縄県人が求めていた〈基地のない平和な沖縄〉とはほど遠いものだった。基地はそのまま残り、基地従業員だった人たちは大量に解雇され、社会不安や便乗値上げによる物価の急上昇が起こるなど、人びとが被った影響は大きく、米軍支配からの解放のために日本国家によりどころを求めた復帰運動自体が誤りであったとする〈反復帰論〉も台頭した。 

現在の沖縄

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未来の沖縄

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